![]() 2016.11.22 Tuesday
JUGEMテーマ:お城
改めまして。 先日先輩と一緒に駿府城に行ってきました〜(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ 今回はお金がないので、日帰り在来線での訪城です。 品川から東海道線で、ひたすら東海道線で4時間。 静岡駅に到着です。 とりあえず、腹ごしらえを済ませ、いざお城へ。
駅の北口を出ると目の前には、葵タワーというビルがw 駅前の商店街には「葵カフェ」とか、とにかく葵押しでした。 静岡駅から10分くらい歩くと外堀と石垣が見えてきます。 外堀から内堀へ。大手門跡を入っていきます。 内堀と外堀の間には静岡県庁や病院など県には欠かせない建物が並び、やはり政の中心なのだなぁと思わされます。 内堀沿いを歩いていくと、櫓が見えてきます。 弥次喜多の像もありました。 東海道中膝栗毛、読んだことないけどとりあえず現代版になってるの探して観てみようかな・・・。 それにしても後ろの石垣、元からあったものと復元したものと全然違ってくるものなんですね。 特に色。 カビとかコケとかよく分からないけど、色がまるで違うのでどこからどこまでが後から作ったものなのかよくわかります。 もっと近づくと切り出し方とか積み方が違うってのもなんとなく見えてきます。 巽櫓(たつみやぐら)と東御門です。 格好良いですね♪ 枡形の虎口もちゃんと復元されていました^^ さて、駿府城とは徳川家康が築城したと書かれていますが、元は今川義元の居城があった場所でした。 すごい広くて平坦な地にあります。 南側は海だとしても、広い平野の向こうには小高い山々が見えます。 ってことは、この場所って丸見えじゃないですか? こんな丸見えの場所に戦国初期から城を持っていた今川さんってものすごい力を持っていたことだけは分かります。 戦国鍋テレビでは茶化されてる感じだったけど、実はすごい人だったんだろうなって思います。
本丸跡・・・。 水が溜まっているけど、堀??なに? よくわかりません・・・。 城内の南西に位置するのが、去年復元されたばっかりの坤櫓(ひつじさるやぐら)!! 中は家康公の鎧なども展示されておりました。
門が復元され、櫓が復元され、駿府城は徐々に姿を取り戻しているようです。 となると、次はシンボルともいえる天守台の復元に期待が高まります。 天守台・・・・ どうやらここにあったっぽいですけど・・・(^_^;) 何だか立派な通路ができちゃってるし、ここに天守を再建するのは難しいのでは・・・? と思ってしまいます。 後ろを見ると大量の盛り土が。 いろいろ掘り進めて研究されてるのですね・・・。 天守の後ろには富士山がそびえ、それはそれは美しい景色だったそうです。
家康が今の駿府城を築城したのが1585年。 信長も去り、秀吉が天下を取り、家康も力を持ち始めた頃ですね。 今川の人質として幼少を過ごした駿府は家康にとってかけがいのない場所だったのかも。 将軍を秀忠に譲ってから移り住んだのも駿府城。 江戸と京の間にあり、政治の中心ともいえる存在でした。
そんな栄華を極めた駿府城ですが、家康公が亡くなった後、家康の孫で家光の優秀すぎる弟として有名な忠長が城主となりますが、しばらくして所領を没収されます。 その後城主は不在となり、役人たちが管理することとなりました。 その後は火事でいろいろ燃えたり地震で崩れたり経年劣化でボロボロになって行ったりいろいろして現代に至ったわけです。 日本一の山が一番良い位置で臨める美しい城、ぜひ復元を続けていってほしいなぁと思います。
それにしても、優秀すぎる弟・忠長さん、その後所領を没収された挙句蟄居させられ自刃に追い込まれているんですが・・・具体的に家光さんとどんなやり取りがあったのでしょうか? 気になってきました。 歴史の沼は広くて深いなぁ・・・。
(つづく) (別ウィンドウが開きます↓↓) ![]() ![]() ![]() |