姫路城の西の丸にある百間廊下。
300mもある廊下は倉庫(櫓)だったり、通路&部屋だったりしてました。
こちらに千姫が住んでいたこともあり、姫路城では千姫めっちゃ推してました!
パワースポットらしいです!
多分角度的に合ってると思うんだけど・・・・・・
これですと言われても、実際見ると・・・
え・・・?どの山ですか・・・?
なんか3つくらい見えますけど・・・・・・といつも思います。
ダ「千姫〜!?誰だよ、それ・・・(-"-;)」
というあなたのために私が千姫をウィキペディアの情報とたっぷりの妄想を踏まえて紹介します。
_____________________
千姫が生まれたのは、1597年。
父は徳川家康の息子で跡取りとなる秀忠(18)、母はあの浅井三姉妹の末っ子、江(24)。
戦国時代末期という激動の時代だった。
千姫が生まれた翌年、天下を治めていた豊臣秀吉(61)が亡くなり、再び暗雲が立ち込めていた。
俄然張り切る家康(56)!!
「秀頼さん(5)が大きくなるまで、サポートしてあげます♪」
1600年 家康(59)は関ヶ原の戦いに勝利。
徐々に実権を握っていく。
豊臣家と徳川家は険悪な状態になっていった。
1603年 そんな中、両家を仲良くさせるために行われたのが千姫(7)と従兄でもある秀頼(11)との結婚だ。
そう、千姫の母・江(30)と秀頼の母・淀(35)は姉妹だったのだ。
しかし、家康(61)は征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く。
これで家康は秀頼よりも立場が上みたいな感じになっていく。
1605年 家康(63)は将軍を引退。秀忠(26)に将軍職を譲る。
これで徳川家の権力は盤石なものに。
怒り狂う淀(37)。
「このままでは豊臣家が危ないわ!
豊臣家安泰の為にも跡継ぎを作らなきゃ!!」
焦った淀は、秀頼に次々と側室を用意しまくった。
千姫(9〜10?)も「自分も産みたい!!」とアピールしたが、敢え無く却下される。
「やかましい!!あんたは勉強でもしてなさい!!!」
これで嫁姑関係が悪かったとされる説があるんですが、私は淀さん賢明な処置をされたと思っています。
1608年 秀頼(16)と側室の間に待望の男児・国松が生まれる。
「秀頼様、ごめんなさい。私が子供を産めないばかりに・・・」落ち込む千姫。
そりゃそうだよ、まだ12歳だもん(T_T)
1609年 秀頼(17)の第二子の女の子(幼名不明)が生まれる。
二人の子供は、安全のため密かに育てられていた。
1611年 家康(70)と秀頼(19)がついに対談をする。
淀(43)の教育の成果もあり、秀頼はとても優秀な青年に育っていた。
焦る家康。
「やばい・・・こいつは秀忠(32)より賢いぞ・・・
俺が生きてるうちに潰しとかないと、まずいな・・・」
1614年 家康(73)は豊臣家にいちゃもんつけて、無理やり戦争を仕掛ける。
大坂冬の陣である。
冬の陣はなんだかんだで和解で終結。
間に入って交渉したのは、淀(46)と江(41)の姉妹でもある初(44)だった。
その時に、秀頼(22)の子供たちを大坂城に入城させたと言われている。
1615年 家康(74)は再び豊臣を攻める。大坂夏の陣である。
次々と打ち込まれてくる砲丸。
大坂城は炎に包まれた。
淀(47)や秀頼(23)は死ぬ準備を始める。
一方、千姫(19)は徳川の血を引く貴重な姫君なので、助け出されようとしていた。
家康は「千姫を助けたものには、千姫を嫁にやるぞ!」と騒いでいた。
「私も共に死にます!」と、千姫は覚悟を決める。
しかし、淀はそれを却下。
「みすみす死ぬ必要はないわ。
助かるんだったら、生きていきなさい」
千姫もそこはなかなか譲らなかった。
「では、秀頼の命を助けてと、あなたのおじい様に頼んでみてくれないかしら」
「お義母さまは・・・」
「私は良いのよ、あんなやつに頭下げるくらいなら死んだ方が全然マシだから!」
千姫は決死の思いで大坂城を脱出する。
徳川方で千姫を救いに来たのは坂崎直盛(52)というおっさんだった。
「うわ!!千姫めっちゃかわいいじゃん!!
ラッキー!こんな女と結婚できるなんて♪」
千姫は必死に家康に訴える。
「おじい様、お願いです、秀頼様を助けてください!!」
「うーん、おじいちゃんに言われてもなぁ〜
今、一番偉いのはお父さんだから、お父さんに頼んでごらん?」
家康がはぐらかしている間に大阪城は燃え落ち、淀や秀頼そして側室たちは切腹してしまった。
千姫は泣き崩れた。
自分は結局何もできなかった・・・。
子供はできなかったが秀頼のことが大好きだった。
そこに空気を読めない坂崎は千姫や家康に猛アピール!
「助けたら嫁にくれるって言いましたよね!?」
こいつこそ、死ねばいいのに・・・!!と千姫は思ったに違いない。
千姫は「こんな顔の人はイヤです」と断ったという。
坂崎は燃え盛る炎で顔に火傷を負って、すっごい顔になっていたという。
誰のせいでこんな顔になったと思ってるんだ・・・!!?
坂崎は怒りを鎮めるのに必死だった。
きっと一番の理由は空気が読めなかったからで、イライラした千姫は一番言われたくない言葉で断ったんだろうと私は思う。
夏の陣が終わると、豊臣家の残党狩りが行われた。
国松(7)も見つかって捕まり、処刑された。
国松の妹(6)の命を救ったのが千姫だ。
「この子を殺すんだったら、私も死んでやる!!」
千姫は女の子(後の天秀尼)を養子とした。
きっとこの少女を救い守ることで千姫も生きる意味を見出せたのではないだろうか。
千姫はすぐに江戸城に護送された。
道中、警護してくれていた本多忠刻(20)との会話は癒しのひと時だった。
江戸に戻ると、すぐに千姫の再婚相手探しが始まった。
「秀頼様を亡くしてこんなに辛い時に再婚なんて考えられない!
みんな信じられないわ!」
説得する江(42)。
「お母さんもね、夫を亡くしたことがあるから辛さはよく分かるわ。
でも今は秀忠様と再婚できて幸せよ。
悲しみを乗り越えて、穏やかで幸せな生活を送って欲しいの」
迷走する家康。
「なぁ、坂崎くん。
うちの千姫に良い相手誰か見つけてきてくれんかのう」
何で振られた相手に縁談を・・・!?
神経を逆撫でされながらも、相手を探す坂崎。
そして公家との縁談を何とかセッティングするまで話を進めていた。
一方・・・。
「ねぇ、おじいちゃん。
千姫さ、うちの子の嫁にもらってもいい?」
そう言ったのは、熊姫(38)。
熊姫は、松平信康の娘で、家康と織田信長の孫にあたる。
つまり千姫とはいとこ同士に当たる。
信康はかつて信長に対して謀反を企てたと疑われ、切腹している。
「私も苦労したから、あの子見てると他人事とは思えないのよ。
よその家に出すくらいだったら、身内で穏やかに仲良く暮らしていく方が良いと思うの」
「そうだなぁ、そうしよう!」
家康は熊姫の提案に賛成した。
「もしかしたら、顔くらい知っているかもなぁ」
熊姫の息子は、本多忠刻。
大坂城から江戸まで千姫を護衛したイケメンだ。
あの人となら・・・。
千姫もOKした。
「という訳で、あの話、なしね!
悪いね、坂崎くん!」
家康に言われた坂崎。
「!!!」
頑張って千姫のために奔走していた坂崎の怒りは収まらない。
あの女〜〜〜!!!
一度ならず二度までも俺の顔に泥を塗りやがって・・・!!!
ふざけんじゃないぞ!!!!!
千姫が本多家が住まう姫路城に行く道中、坂崎は千姫を誘拐しようと企てるが、敢え無く失敗。
すぐに死罪となった・・・。
坂崎さん・・・何だかかわいそう・・・(T_T)
1616年 豊臣家を滅ぼした家康じいさん(75)は亡くなった。
あれだけ健康に気を付けていたのに、天ぷらにあたったという・・・。
千姫(20)は本多忠刻(21)と再婚した。
忠刻は優しく良い男で、姑の熊姫も優しい良いお義母さんだった。
姫路での生活は穏やかで幸せなものだった。
1618年 二人の間に勝姫が生まれる。
1619年 跡継ぎとなる幸千代が生まれる。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
1621年 幸千代(3)が亡くなってしまったのだ。
千姫はその後何度か妊娠はするもののみんな流産してしまった。
不幸が続くのは、秀頼の呪いだという。
千姫は淀と秀頼を供養し、また住んでいた西の丸から見える男山に天満宮を建て、毎日毎日本多家繁栄を祈り続けた。
しかし、そんな祈りも虚しく
1626年 千姫が30歳の時、生母の江(54)、姑の熊姫(49)、そして最愛の夫忠刻(31)が亡くなった。
その後千姫は江戸に戻り、出家して40年竹橋で暮らした。
二人の亡くなった夫や子供を想いながら。
弟の家光が3代将軍になったことで、千姫の地位は絶対的なものとなっていた。
徳川の威光をフル活用して、千姫は養女の天秀尼をサポートしたり、娘や孫を力いっぱい守り抜いた。
養女の天秀尼が住職を務めたのは駆け込み寺としてたくさんの弱い女性を救うことになった東慶寺だ。
千姫のサポートのおかげで助かった女性は数多いと思う。
そんな千姫、「人生で一番幸せだったのは姫路にいた時だった」と言われている。
_____________________
千姫に思いを馳せて、男山に向かいます。
山の上には男山天満宮。
こちらの天満宮から観た姫路城。
天守閣もキレイに見えますが
千姫様がいた西の丸百間櫓もはっきりと見えます。
そして少し降りた場所に千姫天満宮があります。
沢山の女性の幸せを願ってくれた千姫。
今でも多くの女性の心の支えとなっている。
皆様も姫路に行かれた際にはぜひ行ってみてくださいね!